この夏、LGBT対談会を行いました。
いまさら、先月あたりの話をしても仕方ないのですが、
私も少し影響を受けたので、お話いたします。


きっかけは某新聞夕刊の記事でした。
そこから、ブログを経てmixiにたどりつき、
この度、司書教諭を取ろうと思って通う大学にて、
実際にご本人と会うことができました。

新聞では、彼女は教育学部の学生さんで、
自分はビアンであるとして構内で活動している。
そういうことが書いてありました。
ブログを読んで、彼女もできたということも知りました。


折しも、私はジェンダー論やセクマイ(sexual minority:LGBT)について、
教育者としての興味があって、様々な方の意見を聞いていました。

というのは、この人間社会で本当の自分を表に出せず、
マイノリティという言葉にあるように、自分を隠して生活する人が、
少なからずいてるんだということを、情操面で多感な時期にある生徒に、
「多様性」という考え方で教えたいと思っているからです。

LGBTであろうと、自分は自分なんだと思えるように。
逆に知り合いがLGBTであると知っても、
それを受け入れられる人になってほしいと。


統計学的に、多く見積もって「5%」というのは、
必ず「普通」というものさしから外れてしまうので、
いろんな人がいていいんだよといいたい。

自分が持っている「普通」という基準は、
他人には通用しないことだってあるのだから。


さて、お昼休みの時間をお借りしてお話しさせていただきましたが、
私の受けた印象は、「なぜこんなに積極的に行動できるのだろう」。
活動するにあたっての障壁はなかったのだろうかと。

曰く、運良く、周囲からの理解も得られて、
応援してもらえているので、特に困ることはなかった
と。

それでも大々的に活動をする勇気は、私にはないなと。
中学校の体育の教員を目指すと言っていた
彼女の目は曇りもなく、活き活きとしていた。


何かを変えようと思ったとき、それは勇気の要ること。
それを越えられたとき、何かが得られるんだと感じました。
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テーマ:同性愛・両性愛
ジャンル:恋愛
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