家庭内教育が発達障害を生むとかワケがわからないよ。
科学的根拠もないのに、十把一絡げにするのはどうかと。


ウチの父親は6人兄弟(男3女3で私の父は末っ子)で、
毎年正月とお盆、あと法事(不定期)のときに集まるんだけど、
今年はこの大型連休の3日に集まることとなった。

その話を聞かされたのが30日。
4連休はゆっくり休養に使おうと思っていたが、
急きょ、予定が入ることとなった。

というのも、従弟が東京から帰ってきたからだ。
まぁ、それだけならなんてことはないのだが、
親戚がそれなりに集まるだけの理由があった。


ウチの父方の家系の息子たち(自分と従兄弟たち)は、
自分でも言うのが悲しいくらいにダメンズばかり。
就職もパッと決まらない、結婚も出来ない。
そういう男たちの中でも一番問題なのがその従弟だった。

彼は、少し、自閉症とは言い切れないが、
発達障害の様子が小さいときから伺えた。
特技はヴァイオリンを楽譜通りに弾けること。

だが中学でいじめに遭い、私立高へ進学。
しかし、校風になじめず不登校がちで、カウンセリングに通う。
そして自宅から出るために、東京の大学へ進学した。

彼の母(私の伯母)は、うつから自殺し、
父(伯父)と兄との男家族になった。
そのことがどう影響したのかわからないが、
少なからず彼もショックだっただろう。

自分の気持ちをきちんと口にできるのは、
亡くなった母親と従兄である私くらいなものだったから。


そういうわけで、今回、私が駆り出されたわけであるが、
いつもの自閉的な様子だったら、流れで話してくるだろうと。
前々からどうも、自分から楽な方へと進みたがる嫌いはあったが。
投信とかで不労所得の得方とかよく考えていた。

彼のこれまでの人生は振り返ると壮絶なものだった。
しかしそれが逆に、強みになるのではとも思っていた。


私自身も、社会性不安障害とかいう病名でラベられるほど、
人見知りだし、対人で目を見て話せないし、顔赤くなるし、
話しているうちに何を言っているのかわからなくなるし。

でも、そんなことを言い訳にしても卑怯だなと思ってる。
ミスしたら病気のせいにしたら楽だけど、成長できない。
どこかで病気を盾にしている自分が嫌いだった。


話が脱線してしまった。

要するにそんな従弟がどうするのか、どうしたいのか、
親戚がこぞりて話を聴く、する、そういう集まり。

そうしたら、うつも発症してて、あまり話すこともなかった。
元々、悲観的に考えすぎなところはあった。
言い換えれば、「適当に手を抜く」ことができない。

とりあえず院に進学するのは決めているようで、
あとは就職活動という流れだが、以上のことにより、
まず営業などの対人は無理であろうと。


まぁ、いろいろと話はあったが、
現状、うつや発障を改善するのが優先だと思った。

ウチはまだいい方で、ゆっくりゆっくりやらせてもらっているが、
彼の場合は違う。すでに経済的にも時間にも余裕がない。

結果的に親類が集まったはいいが、
彼に強いストレスだけ与えて終わったように感じた。


こういう風に、家庭や親類が支えようとしているのに、
家庭内教育、親の教育が悪いと明文化。
親を教育することから始めよ、と。なんか間違ってはいませんか?

そうやって、差別化するのがいいことなんでしょうか。
発達障害の者を排斥することで、社会全体がよくなるんでしょうか。
なんか民族浄化みたいな感じで嫌悪感をすら抱きます。

人はそれぞれ違っているからいいんじゃないのかと。
他者を理解し、そして「自分」を確立していくのが人間ではないかと。
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テーマ:広汎性発達障害
ジャンル:心と身体
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