慣れない近道があっても、多少の回り道でも本道を行く。
そんな言葉もあるが、自分の人生において、
自分で遠回りしているような気がしてならない。

その遠回りが何かに結び付けばよいが、
どの道を選んでも、道草を食うだけならよいが、
少しずつ時間や何かを失っていく気がしてならず、
結局は真っ直ぐ目的地を目指した方が早く着きそうだった。


どこであったか、麻雀をしているとき、
「なぜ君は(和了りから)遠回りして打つんだ?」と言われた。

自分では気付かない。確かに流れも戦略もなく手なり。
といっても、何が最も和了がりの形に近いか、くらいは考える。

しかし、それが麻雀の基本形のピンヅモや断ヤオなのに、
違う手(とりあえずの聴牌・立直、役牌等)に向かう。
そのため、聴牌に近づくころにはもう終盤。

捨てた牌を見れば、ピンヅモにもできた「かもしれない」。
その可能性に、局が終わるまで一切気付かないもの。
それではツモ運が良い日でも勝てるはずもない。


麻雀の話から、規模を大きくすると、
人生ってヤツは、人によっては遠回りした方が損なのだということ。
人生に基本形もクソもないけど、猪突猛進もアリってこと。

確かに道がいかにぐにゃっと曲がっていても、それをこなし、
その場で得られるものを得て目標にたどり着く猛者もいる
(それが「普通」の人もいるが、私には猛者なのだ)。


一方、自分はそんな器用な生き方ができただろうか。
それは、麻雀の進め方が、自分の生き方と反映しているのでは。
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